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近年サッカーは従来の楽しみ方に加え、スポーツベッティング(ビットコインを使ったサッカー賭博)に参加する人もおり、今後も時代に合わせた新しい楽しみ方が増えてくると思います。今回はサッカー日本代表の歴史について語りたいと思います。

ユニフォームに込められた想い

日本代表のユニフォームといえば「青色」が定着しています。これは、日本の国土を象徴する海と空の青を表しているという説もあります。

今では青色が当然というイメージですが、過去に赤色が使われたことがありました。1988年から1991年の3年間だけ、監督の意向により国旗の色である赤色を使用されたことがあったのです。しかし、良い成績が残せず、次の監督からまた青色に戻ったといわれています。

しかし、ずっと変わらないものがあります。それは、左胸にある八咫烏(やたがらす)のエンブレム。3本足で立ち大きく翼を広げた姿の八咫烏、これは日本の神話から採用されたといわれています。八咫烏とは「大きいカラス」という意味があり、3本足は天・地・人を表すともいわれています。また、太陽の化身である八咫烏は神武天皇を道案内し勝利に導いたことから、勝利の象徴とされています。

サッカーの歴史と日本の軌跡

サッカーの歴史は古く、イギリスで中世に行われたフットボール祭りまで遡るといわれています。日本にサッカーが紹介されたのは1873年頃とされています。それから、1921年に大日本蹴球協会が創立し、1929年にFIFAに加盟しました。1991年に社団法人日本プロサッカーリーグ(Japan Professional Football League)が設立され、通称Jリーグが生まれたのです。

Jリーグができたことにより、地域住民、地方自治体、周辺の複数企業の協力という三位一体方式で地域に根差したクラブチームづくりを目指すことができました。

着実に力をつけた日本のサッカーは、ついにアジアトップレベルに達し、1998年に世界を相手にするW杯へ出場することができました。結果は3連敗グループリーグ敗退となりましたが、それ以降のW杯へは開催毎に出場し、グループリーグで敗退することもありましたが、強豪相手に勝ち進みベスト16と功績を残すまで実力をつけ、さらに成長し続けています。

Jリーグと世界のクラブチーム

日本でJリーグが設立され当初は10チームほどだったクラブも、2023年現在では60チームへ増えました。

編成も3つに分かれ、J1・J2・J3とJ1をトップチームとしJ1の下位とJ2の上位を入れ替えする昇格降格という制度を設けています。J2とJ3も同様に行っています。そして、J1でのリーグ戦優勝を目指して勝負することになります。

世界には数多くのクラブチームが存在し、Jリーグで活躍する選手が海外のクラブチームからオファーを受け移籍することは自然な流れといえます。そして、世界のレベルの高いプレースタイルを肌で感じ自身を成長させ、日本代表として世界と戦える実力が、また日本を強くさせています。

まとめ

SAMURAI BLUEになるには、一生をサッカーへ捧げて死にもの狂いで練習し、様々な鍛練をしてきたと思われます。八咫烏のエンブレムを胸に戦う姿は、侍そのもの。Jリーグで勝ち進み優勝すること、国外のクラブチームからオファーを受け世界でプレーすること、その過程を見せ次世代に伝えていくこと。それが希望を持った新たな原石を育てることになります。そして、それらがまだ見ぬSAMURAI BLUEへの軌跡に繋がっていくでしょう。

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